オレンジジュースの思い出

すごく気持ちの悪い夢を見て、目が覚めて、夢だとわかった時、なぜか昔付き合っていた彼のことを本当に久し振りに思い出した。
すっかり忘れていたようなことを。

私には執事のような世話係がついていた。
(私自身はそんなに身分が高くなさそうな、まだ大人になりきっていない10代の少女だった。髪はブラウンで、背中の中ほどまである少しウェーブのかかった髪質のロングヘアだった。)
私はそう広くもない、雰囲気的には船内の客室のようなあんまり広くないところで、2段ベッドの下で1人で本を読んでいた。
ハードカバーの、結構立派な作りのもの。
小さなポーチが近くに置いてあって、その中には精巧な亀の置き物を入れていたらしい。
見かけたとき、なぜかその亀の置き物を可愛いと思ってどこかで拾ってきたもののようだった。
それをポーチから出して自分のそばに置いて、私はそのまま本に夢中になっていた。

ふと手首から肘のあたりにかけて妙な痛み、感覚が走って見てみたら、ウジ虫のような白いクネクネとした、しかもとても小さなものがたくさん、私の腕を這い上がって来るところだった。
体液が刺激性なのか、毒でもあるのか、虫が血でも吸っているのか、とても痛くて気持ちが悪かった。
私は慌てて腕を振り回しながら水場へ行き、シンクのようなところで必死に、半泣きになりながら虫を洗い流そうとしていた。
(触りたくなかったので流水で流そうとした。)
そこへ戻ってきた世話係の男性、驚いたような顔をした後、厳しく私を叱りながらも処置をしてくれる。
亀は生きていたもののようで、部屋の隅の方で元気に歩き回っていた。
亀の甲羅の中にいた寄生虫のようなものが、動き出した時に出てきてしまったのだと私は思った。

世話係の男性は、黒髪のスッと背の高い人だったけど、現実では見たことがない人だった。
地味めの髪型をしているのに顔は均整で美しく、マンガや映画で描かれる執事のような派手な燕尾服ではなく、シックなスーツのような服をきっちりと着込み、またそれを着慣れているように見えた。

ハッと目を覚ますと息を切らしていた。
そして、なぜか彼のことを思い出したのだ。
彼はきちんと「今はもう恋愛感情はない」と気持ちを伝えてくれた正直な人だったから、そんなに心の傷にはなっておらず、もうあんまり思い出すこともなかった。
「恋愛感情はない」と言われた時や、初めに「付き合うという約束に縛られたくない」と言った身勝手な彼のことを苦く思い出すことはあっても、どちらかと言うと彼と過ごした楽しかった、幸せだった時間の方を思い出すことが多かった。
私の中で綺麗な思い出になっていて、そしてちゃんと過去になっていた。
彼との時間の中で、私に悔いはなかった。

その彼と眠る時、2人ともメンタルを病んでいたので睡眠障害があり、よく睡眠薬を同時に飲んで同じ布団に入った。
初めて一緒に眠る時、薬は水で飲むものだと思っていた私の前で、彼は薬をそのまま口に含んでしまった。
彼は「苦くないよ」と私の口に薬を入れてくれた。
確かにその薬は全く苦くなく、舌の上で甘くない砂糖菓子みたいにホロホロと崩れた。

彼はそうして眠った後、悪夢を見て魘されることが頻繁にあった。
寝起きの気分が悪いことが多いらしく、仕事や付き合いでお酒を飲んで二日酔いの日も少なくなかった。
まだ一緒に過ごし始めてそう長くはなかったある日、悪夢に魘されて二日酔いで目を覚ました彼は、私から見ても酷い状態で、顔を覆ったまま「オレンジジュースが飲みたい、100%のやつ」と呟いた。
うちの冷蔵庫にそんな気の利いたものはなかったので、彼に「買ってくるね」と伝えて私はコンビニまで文字通り走った。
あの状態の彼を1人にしておくのがどうしても怖くて、不安で、私だって寝起きだったけど、コンビニまでの道のりを必死で走った。
100%オレンジジュースはちゃんと売っていた。
それを買って、また走って帰った。
帰って彼にオレンジジュースを渡すと、さっきよりはマシな表情をしていた。
「ありがとう」と言われたかどうかは覚えていない。
でも結構しっかり一気飲みするのを固唾を飲むように見守っていたことだけは覚えている。
そのことを、久し振りに思い出した。

あの後しばらく、オレンジジュースを冷蔵庫にストックしておく習慣ができた。
後日、同じように辛そうな寝起きの彼に黙ってオレンジジュースを差し出すと「何でわかったの?」と言われたことがあった。
彼はお酒を飲んで帰ってきて、薬を飲んで眠ると、前夜に私に話してくれたことや、一部の記憶を忘れていることがしょっちゅうあったので、あのことを忘れているんだろうと思って、私は「超能力だよ」と言って笑って、本当のことは話さなかった。
彼はしばらく不思議そうな顔をしていたけど、それ以上追求してくることもなかった。


お金と健康を失って初めて気づいたこと

生きているといろんなことがある。
思ってもみなかったことに突然巻き込まれ、「まだ大丈夫」「まだ頑張れる」と振り回されているうちにすり減って、そうしてある日突然体が動かなくなってしまう。

振り返ると不運だったなと思うけれど、自分を可哀想だとは思わない。
もっといろいろやりようがあった、あの時も、その時も。
でも確かなことは、あの頃のわたしは最善を尽くしたということ。

お金がなくなるととても惨めである。
当たり前に買えていたものが買えなくなる。
服も、コスメも、スイーツも。
楽しみにしていたイベントもライブも、映画も、漫画や小説も諦めざるを得なくなる。
日々の食料品や日用品も、たった数十円の価格差に迷う。
毎月の支払いに追われ、心は荒んでいく。
気持ちは焦る一方で、何にも良い案が浮かんでこない。

そんなストレスにさらされ続けた結果、とうとう体まで壊れた。
思えば予兆はいくつもあった。
朝なかなか起きられない、ベッドから出られない。
食欲がなくなり、体重が減り、下痢と便秘を繰り返すようになり。
疲れやすくなって外出が億劫になり、家にこもりがちになり。
楽しさや嬉しさを感じにくくなっていった。
そのかわりに、怒りや憎しみやイライラが増し、被害者意識が強くなり、小さなことに失望し、勝手に傷つき、いつも疲れていて悲しかった。
それが何年も何年も、かなり長い期間続いていた。

体調不良は本当に唐突に来る。
何を食べても下痢をし、胃痛で食べられなくなり、空腹を感じず、食べたい気持ちもなくなった。
体重が一気に減って、体に力が入らなくなってしまった。
ベッドから起き上がって洗面所に行く、たったそれだけのことで息が上がる。

これはさすがにマズい、と思った。
まるで体が生きることを拒否しているようだった。
お金がなかったので病院に行くのを随分ためらって、不調を我慢し続けた。
何日休んでも一向に良くなる気配がなく、体重が減り続けたため、ない気力とお金を振り絞って近くの病院に行ったら、総合病院の紹介状をくれた。
大きな病院での検査で、人生初の胃カメラを飲むことになった。
結果、ストレスによる自律神経のエラーということだった。

こんなに体が辛いのに、ストレスが原因だなんてそんなことってある?
検査結果を聞いた日の帰り道、わたしは腹立たしい気持ちでいっぱいだった。

自律神経っていうのは恐ろしい。
無意識下で体が勝手にやってくれている生命維持装置みたいな機能なので、人間が意識的にどうこうすることができないのだ。
そんなところにエラーが出たら、太刀打ちできるわけがない。

自律神経を整える、ってよく聞くけど。
一度ちゃんと調べてみてほしい。
朝起きて朝日を浴び、バランスの取れた食事と適度な運動、ストレスを避けて、夜は入浴して体を温め、23時には寝る。
ごく当たり前のことのように聞こえるけど、実際のわたしの生活は起きる時間も寝る時間もバラバラのぐちゃぐちゃで、そのどれをとってもクリアできていなかった。

まいりました、完敗です。
言い訳のしようもございません。

今は自分に合う薬と出会って症状は治まっているけれど、対症療法なので薬が切れてくると具合が悪くなる状態。
これまで自由に生きてきたように思っていたのは全部、体にも心にも負担をかけることだったのだなと痛感している。
加えて女の体は毎月ホルモンバランスが乱高下するので、規則正しく生活する、これが本当に難しくて苦戦中。

まだまだ規則正しい生活には程遠い毎日だけど、スッキリ起きられた朝にカーテンを開けて太陽の光を浴びていると、『わたしだって生きていていいのかもしれない』と感じられることがある。

この世界にわたしは必要のない存在だと、ずっと疎外感と居心地の悪さを味わい続けてきた。
子どもの頃から社会にうまく適合できなかったから。
皆が当たり前のようにできていることが、わたしにはできなかったから。
この社会でわたしが生きていくのはとても困難なことで、社会の方もわたしのような人間を受け入れるようにはできていなかった。
はみ出し者としてはみ出し者のコミュニティを渡り歩きながら、そのいずれにおいても馴染めずにいた。

太陽の光を浴びながら、ぼんやりと忙しない騒音にまみれた社会を遠巻きに眺めていて、ふと気がついた。
わたしはずっと、わたし自身を受け入れられていなかったのだ。
だからどこに行っても『ここにいていい』と思えなかったのだと。
自分を許せない自分がいて、ずっとずっと責めていたんだと思った。

どんなに酷い仕打ちをされても、人を許すのは比較的簡単だ。
ほとんどの場合、時間と共に自然と薄れていく。
けど、わたしはずっと、片時も離れることのできない“自分自身”に腹を立てていたのではないかと思う。
他人には取り繕って隠しているような、自分のだらしなさや汚さや狡さを、来る日も来る日もずっと見ているわけなのだから。

それに気がついた時、すとんと腑に落ちた。
ああ、だからだったのかと。

そうしてその瞬間、心に引っかかっていた何人かの許せなかった人を、わたしは全員すっかり許してしまった。
自分より許せないような人が一人もいなかったからだ。
わたし自身がやってきたことに比べれば、どれも大したことのないように思えた。

自分を許すことは、きっとまだまだ時間がかかるだろう。
一生かけて許す作業をしていかなければならない。
これ以上自分に嫌われないために、努力していかなければと思う。

生きていていい。
ここにいていい。

そんな風に自分が自分を許してくれるようになるまで。